YUKI BLOG

30歳、何物でもない男の話。

9/14の雑記

こんにちは、yukiです。

本日の雑記を書いていこうと思います。昨日はいろんな事がありすぎて沢山言葉を羅列する事になるかもしれません。人生はいろいろ。

 

・「散る花を追う事なかれ、出ずる月を待つべし。」

私の財産告白にあった一節にぐっときた。今の自分の心情を察さられたかのような言葉。そもそもこの言葉は中根東里という江戸時代の陽明学者の言葉らしいが、まさに本質。

人生は必要な時に必要なものがくるようになっているのかもしれない。

 

私の財産告白

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・2社の法人それぞれの主力メンバーが同じタイミングで退職を申し出てきた。2人とも何となく近々そんな話があるような気はしていたが、まさか同じタイミングでくるとは。接点がないだけに口裏合わせる事なんてまずできないから、偶然のタイミングとは恐ろしい。何か自分が悪い事をした?と疑ったほど。

・メンバーが辞める事自体は別にいい。何が嫌かって結局みんなケツなんて拭かないで去っていくからそのあとのしりぬぐいは残された人間がやる事が見える事。結局筋を通してしっかり立つ鳥跡を濁さず去っていくできた人間なんてほとんどいない。そんな去る時にこそ人間の本性は見えるんだけども。

・人が辞める背景には様々な理由がある。けれど社内で起こる退職理由の一番は結局人間関係の影響が非常に大きい。仕組みで人間関係の影響を最小限にしていかないといくら人を入れてもやめる。

・昨日はなんだか力が出なかったが、今日はやらなくてはいけない事が明確で要点を絞れている気がする。やはり日を跨ぎ冷静なまなざしで事実を見つめる事は重要。賢者の心。

・企業理念が重要。企業理念を落とし込むための仕組みが重要。その企業理念と仕組みに共感してくれる人が必要。そういう人を採用する事が重要。

・俺が会社で体現したい事は何か。日本社会における子ども達、そしてその親が生きやすい世の中を作りたい。これが本質的な理念な気はするが、まだブラッシュアップできると思っている。もっと深掘る。

9/13の雑記

こんにちは、yukiです。

今後毎日、日々あった出来事や知った事について雑記と称して自分の感情にフォーカスをした日記のようなものを書いていきたいと思います。

 

なぜ日記ではなく雑記なのか。それは単純に日記のように文章構成を考えたり誰かに読んでもらおうという意図が全くないものだからです。笑

単純に自分の気持ちに正直に文章を羅列できればそれでよいという意思の元少し書いていこうともいます。

 

 

・自分がやるべきではない仕事を半ば強制的にやらなくてはいけない状況に追い込まれる事程嫌なものは個人的にはない。

・昨日、個人事業のお店で働かせてほしいという打診がお客さんからあった。人手が欲しいとは少し思っていたがいざそういう打診が来ると本当に人手が必要なのかと再考してしまう。

ここで人を入れる事の最大のメリットは自分の時間ができる事。最近ほぼ目の前の仕事に忙殺されていて長期的な視野が完全に欠けていた。そこを補えるチャンスではある。

ただ収支面が合わなくなる恐れがある事が最たるデメリット。正直今はまだ人を雇うには時期尚早な気がする。どうしようか。

・彼女と同棲をはじめて一週間ほど。思ったほどストレスはないが、やはり一人の時間は少しほしいなと思うときがちらほらある。経過観察。

・本を読む事はいい事。今はAKIOBLOGがオススメしていた私の財産告白を読んでいる。

tiktokでたまたま藤田晋の昔の映像が流れてきていたが、やはりすごい。26歳当時からもう日本のトップを狙う事をワクワクし、そこにチャレンジする事に興奮している。「力のある人は何をやっても上手くいく。逆にダメな人はどこに行ってもダメ。」

この言葉がすごく響いた。自分は前者であるべき。

・最高の1日の積み重ねが最高の人生を作る。最高の人生とは昨日の自分よりも少しでも成長している自分と定義している。今日の俺は昨日の俺を超えているのだろうか。常に自問自答。

ブログを始めるにあたり

こんにちは。yukiといいます。

 

久々にブログというものに手を出しますが、どこまで続くか自分でもわかりません。

今まではある程度続いても結局なんやかんや理由付けして挫折してきた経緯があるんで、まあ見てくださる方はのんびり見ていってくれればいいかなと思います。

 

そもそもなぜ今更ブログをはじめようと思ったのか、という経緯については

結論「個人の思想をぶちまける場所が欲しかったから」ですね。

 

ぼくは日ごろからいろんな本を読んだりいろんな人と話をしていると、すごくいろんな事が脳内を駆け回るんです。

昔から何かについてじっと考える癖があり、それをだれかに言語化して無意識的に壁打ちをしている、みたいなことが頻繁にありました。

 

しかし、昨今のSNSなどの普及、中でも動画をはじめとした言語を介さない簡略化されたコンテンツが流行る中で言葉で何かを伝える必要性はどんどん希薄になっていっていると感じているんですね。

 

複雑なものを簡略化する事は自分でもよくするので悪いとは思わないですが、簡略化されたものがあまりにも溢れると複雑性のあるものが必然的にどんどん排除されていくんですよ。そりゃめんどくさいものより簡単なものの方が大半の人はいいに決まってますから。

 

 

でもそれだと、なんか最終的に世の中つまらなくなるんじゃないかなーと思うんです。

複雑性の中に美しさがあるものだってあるし、なんなら複雑だからこそ美しいもの、尊いものってあるはずなんですよ。

また複雑の中にある一つの簡単な真理を必死に考え抜いて見つけ出すその過程にこそ世の理があったりする。

 

だからこそ複雑性をより簡略化し簡単なものにしていこう、というのはあまり個人的には好きな風潮ではないなあと思うわけです。

 

そしてそんな考えを持っているぼくの思想は、ふつうに生きる現代の人から見れば複雑に見えると思うんです。

でもそんな複雑な思想の中に、いろんなヒントがあると思うしそこから何かを見出す人が出てくれたらよいなとも思うわけです。

 

こんなやばい思想の奴にはならないようにしよう、それも良し。

この考え面白いからもっと深掘ってみよう、それも良し。

 

 

ぼくが思想を吐き出す事でそれがだれかの人生の何かの気づきやヒントになればいいと思っていて、そんなコンテンツを今後作っていけたらうれしいなあ、と思っているわけです。